この地上にはいないという
ふわーっとした寂しさに
涙がこみあげる瞬間がある。
特に晩年の
父や母に似た年代の方が
ゆっくりと歩く姿や
バスを待っている姿を見かけると、
”あれっ!”
”じわ〜〜〜”って感じ。
思春期には思いっきり反抗もし、
母とは最終的には私が泣いて訴えるという口論も沢山したけれど
その反抗期に、共働きの両親が深夜までつきあってくれたこと、
何よりも世間的常識から見れば
特異?な私の人生や考え方を
なんとか受け止めようと努力してくれたこと、
その他、大切な生き方の基盤を
しっかりと示してくれたことなど
感謝してもしきれない。
母の愛、
それは時には、からみすぎて重たかったり、からまなすぎたり、
その距離感は子供にとって、決していつも正しい訳ではない。
だから、離れたほうが良い場合さえある。
だけど、命がけで産んでくれた
その一点だけでも
十分感謝に値するのも事実だ。
(バングラデッシュ国籍の友人の長男T君が
お母さんを描いた作品。)
母が亡くなって50年遠い昔であまり覚えていない
返信削除母のお里帰り先の
返信削除石川県金沢市での出来事は
田舎育ちの私にはとても印象的でした。
なのできっと正敏様が覚えていないことも
私が覚えていたりするかも、、。